石巻市の観光名所として知られる日和山に、かつて葛西氏が城を築き、現在の鹿嶋御児神社の地に本丸があったとされる。関東御家人の葛西氏は南北朝ごろ所領があった石巻に下向し、戦国時代以降に登米寺池へ移ったとみられ、その間、石巻を拠点に奥州の有力豪族として活躍していたらしいのだ。豊臣秀吉の奥州仕置で滅亡したため史料に乏しく謎の多い葛西氏。そのためか、地元石巻でさえ地味な存在なのが残念でならない。
2022年1月29日土曜日
2022年1月24日月曜日
湊館山館と慈恩院の倒れ墓
石巻市湊不動沢の館山にある伊達家家臣笹町氏の居舘跡が湊館山館で、現在は大規模な採石や住宅開発で往時の面影はない。湊地区や中瀬が見渡せる場所もあり、地域の要としてふさわしい場所だったのかもしれない。笹町氏にまつわる恐ろしい伝説についても紹介していこう。
2022年1月22日土曜日
葛西大崎一揆降参将士誅殺の地
須江山北側のJR石巻線佳景山駅にほど近い糠塚地区(殿入沢)に「大槻但馬守平泰常殞命地」と刻まれた石碑が建ってる。1914(大正3)年11月に国文学者の大槻文彦文学博士が建立したものだ。葛西大崎一揆が収束しつつあった1591(天正19)年8月、伊達政宗の指示を受けて葛西旧臣たちが須江山に集結した。葛西復活の夢を抱いていた武将たちだったが、到着した伊達勢(泉田安芸を大将にした軍勢)によって多くが討ち取られ、もしくは自刃に追いやられた。この凄惨な現場も、いまは至極穏やかだった。
2022年1月21日金曜日
伊東七十郎(重孝)の屋敷跡と重孝神社
江戸時代初期に起こった伊達騒動で、仙台藩を専横する伊達兵部を誅殺しようとして捕らえられ斬首された伊東七十郎のゆかりの地が石巻市内にある。北村地区にある屋敷跡と七十郎を祭った重孝神社だ。これまで、存在は知っていたが行ったことがなかったので、ネットの書き込みを頼りに自転車で巡ってみた。
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