最近、1993年に石巻グランドホテルで開かれた石巻青年会議所主催の一皇子伝説シンポジウムを思い出した。後醍醐天皇の第三皇子(第一皇子とも)として生まれた大塔宮(おうとうのみや)・護良(もりよし、もりなが)親王が、鎌倉を秘かに脱出し石巻で余生を送ったとする伝説を県内外にアピールしようと、直木賞作家の井沢元彦さんを講師に招いて開催し、大盛況だったと記憶している。「一皇子伝説入門」という和綴じの立派な冊子が配布されことで素人でも分かりやすく、伝説の真偽はともかく歴史ロマンあふれる内容だった。井沢さんがこの伝説を題材にした小説を書いてくれるのではないかという淡い期待を抱いていたが、残念ながら実現しなかったようだ。ありがちな伝説なのかもしれないが、もう一度この伝説をおさらいしてみた。
2022年8月24日水曜日
2022年8月3日水曜日
田道将軍終焉の地・伊寺水門
「田道将軍」という人物をご存じだろうか。石巻の人なら名前だけは聞いたことがあるのではないだろうか。古墳時代の英雄ともいうべき武人・上毛野田道(かみつけののたじ)のことで、石巻市には田道将軍をまつる「田道神社」が田道町1丁目ある。羽黒山鳥屋神社や禅昌寺などにも田道将軍にまつわる伝説が残されており、日本書紀に記載されている田道将軍終焉の地とする伊峙(寺)水門(いじのみと、いしのみなと)が石巻であるかは確定されていないが、有力候補地になっている。
田道町1丁目にある田道陣社
2022年6月14日火曜日
五松山洞窟遺跡と古代石巻
石巻市湊地区にある五松山洞窟遺跡は1982(昭和57)年10月21日に発見された、弥生時代と古墳時代の遺構を併せ持つ遺跡だ。五松山がけ崩れ防止対策工事中に洞窟が出現し、その中から人骨が発見されたため、ちょっとした騒ぎになった。地元新聞に掲載されたときは「工事現場から人骨」という第一報だけだったので事件かと思ったが、すぐに遺跡だと分かったのでほっと一息。そのためか遺跡そのものにも関心が集まったようだ。特に注目されるのは、6~7世紀とみられる19体の人骨と副葬品だ。
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