2023年9月15日金曜日

田道町遺跡と牡鹿柵

 田道町遺跡は仙石線陸前山下駅東部の石巻市山下町1丁目と2丁目にまたがる住宅地内の遺跡で、古墳時代から平安時代の土器や住居跡などが発見されている。特に注目されるのは延暦11年(792年)の記銘がある稲などの貸し出しを記録した出挙(すいこ)の木簡で、地域の豪族とみられる「真野公」の文字もある。北側に隣接する清水尻遺跡を含めた当地は役所跡とみられ、8世紀後半に牡鹿郡家が赤井地区から移転した可能性もあるという。

田道町2丁目の公園内にある田道町遺跡の標柱

 田道町遺跡の本格的な調査は1991年(平成3年)4月から始まり、耕作地の住宅地開発に伴い何度か実施されている。注目の木簡が発見されたのは1991年9月から実施されたB、C地点調査で、掘立柱建物跡から出土した。長さ30.2㎝、幅7.75㎝、厚さ1.4㎝。腐食が進んでいるが表面上部の墨書部分がかすかに残っていて、「延暦11年」「合四百六十四」「真野公穴万呂五十五束」が読み取れるそうだ。

田道町遺跡から発掘された木簡
石巻市文化財調査報告書第五集
田道町遺跡B.C地点調査概報より

 田道町遺跡と木簡については、「石巻かほく」に東北学院大博物館学芸員の佐藤敏幸さんが連載中の「発掘古代いしのまき~考古学で読み解く牡鹿地方」73回(8月30日付)、74回(9月6日付)に詳しい説明があるので確認してほしい。8世紀後半に入り赤井地区にあった郡家として機能が縮小しているそうで、牡鹿湊の発展に伴って機能の一部が田道町側に移った可能性があるという。墨書土器が発見されている清水尻遺跡がある清水町にも役所機能が広がったのだろう。

 木簡に記載された真野公(まののきみ)について、「地名」+「公」は蝦夷に与えられた姓(まばね)で、稲井地区真野に蝦夷の豪族がいたことを示す。蝦夷は対象外された出挙がこの頃には実施されていたことを示す史料になった。これによって歌枕「真野の萱原」の推定地として稲井地区真野の可能性が高まったらしいので、認識を新たにした。 

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