2023年3月11日土曜日

企画展「石巻の板碑」

  石巻市博物館で開催中(3月26日まで)の企画展「石巻の板碑―調査の記録をだどる」を観覧し、関係イベントのワークショップとシンポジウムを聴講した。宮城県内最古と言われる石巻市三輪田・高徳寺所蔵の文応元年(1260年)銘板碑が公開されていることが最大の楽しみ。東日本大震災後の板碑の状況などが知りたかったので期待を抱いて出掛けた。石巻地方の中世を知るうえでとっても重要な板碑だが、如何せん地味な存在。企画展の開催にエールを送りたい。

                                      石巻市三輪田・高徳寺所蔵の文応元年(1260年)銘板碑

 高徳寺の参道前には近世塔を含めたくさんの板碑が建っている。文応元年銘板碑はこの一群にはなく、普段は本堂内で大切に保管されている。上部が欠けており種子と元号の一字目がなくなっているものの「応元年」と千支の「庚申」から文応元年が割り出されて9いる。北上川対岸の中島にある文永5年(1268年)銘板碑と同様の銘文配列からも比定されるという。造立者は平朝臣資信でこの地域を治めていた有力武士とみられる。

 高徳寺には、このほか、正中2年(1325年)銘の大型板碑があり平直重の「逆襲(生前供養)如斯也」と刻まれている。また、三輪田の南方にある北境・館の法華堂前には平重命と義継父子のための題目板碑(日蓮聖人が説く南無妙法蓮華経の題目が刻印された板碑)で、建武元年(1334年)のもの。平直重と重命は同族とみなされており(『北上川下流のいしぶみ』河北地区教育委員会刊)、平姓の一族が長年にわたって当地を支配していた思われる。

 石巻市博物館で公開された文応元年銘板碑は、欠損や剥離があってほとんど字が読めないのだが、拓本などから重厚な文字や彫りが読み取れるらしい。このほか、たくさんの板碑拓本、レプリカ、調査資料などが展示されており、石巻地方では地板碑調査が長年地道に続けられてきたことが伺われる。

 ワークショップでは、「ひかり拓本」という新しい技術が紹介された。板碑の刻面に様々角度で光を当てて写真を撮影、影だけを抽出して合成するデジタル技術で、アプリとして開発が進められているという。既にほぼ完成していて、使い方を説明してから実際に撮影してみる実習も行われた。だれでも手軽に拓本ができるので、アプリが一般公開されれば拓本のデータベース化が進みそうだ。

               ひかり拓本のワークショップ
                          =石巻市博物館

 シンポジウムでは3人の研究者が発表を行ったが、石巻地方以外の話が多かったのであまり頭に入らなかった。ただ、東日本大震災の復興工事の中で板碑が震災がれきとして処理されていたというショッキングな話があり、文化財として登録されていない多くの板碑が失われていくのは悲しい。

 石巻地方では、中世に関する資料が極めて少ない。江戸時代の軍記物語や各家に伝わる家系図などで断片的に理解するしかない。石巻地方にたくさんある板碑は中世の貴重な財産となるはずだ。地道に続けてきた先人たちの板碑調査で何が分かるのか―分かりやすく市民に伝えていくべきだろう。

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