2022年3月24日木曜日

大森城は誰の城か?

  石巻市二俣地区にある大森城跡は、二俣小学校裏から谷津地区に至る東西約600m、南北約250mにも及ぶ大規模な中世山城で、鎌倉時代に桃生郡の領主となった山内首藤氏の居城とされる(紫桃正隆著、史料仙台領内古城館・第2巻)。しかし、山内首藤氏が大森城に居住した形跡が薄く、早くから七尾城を拠点にしていた可能性もあり、今ひとつはっきりしない。大森城址を散策しようと思ったが、杉木や雑木に阻まれ思うように歩けなかった。中世山城の特色をよく残しているようなので、散策できるようにしてくれるとありがたいのだが・・・。

県道沿いにある大森城址の案内板。標柱は折れたままになっている

2022年3月11日金曜日

桃生城と和泉沢古墳群

 国道45号の石巻市二子地区付近から桃生方面へと向かい、三陸道の下をくぐりぬけ大谷地小学校前から田んぼの景色を眺めながら新田交流会館を目指す。新田交流会館向かいには桃生城の案内板があり、会館と案内板に挟まれた道を山側に向かって進む。途中、左折を示す矢印があるはずだったが風雨にさらされて読めなくなっていた。道路が途切れたところで畑の中に入って進む。林の中に入ったところに桃生城の説明板があった。律令国家体制の領域拡大を目指して天平宝字3(759)年末に桃生城が完成したとみられるが、14年後の宝亀5(774)年、海道蝦夷の攻撃を受けて焼失しまう。38年戦争始まりの地だと思うと感慨深いものがある。

2022年3月8日火曜日

葛西氏V.S山内首藤氏 永正合戦

  戦国時代中期、石巻地方でも大規模な戦が繰り広げられた。石巻城を拠点に宮城北東部、岩手南部を統べる葛西氏と桃生郡の山内首藤氏との戦いで、永正八(1511)年に始まったことから永正合戦と呼ばれる。この戦いで勝利した葛西氏は新たに桃生、登米の両郡を手中にし、奥州の大領主に成長した。この時の葛西当主は宗清。伊達氏当主成宗の次男で、先代葛西当主満重の娘と婚姻し、養子として葛西家に入ったとみられている。奥州で勢いを増す伊達家からの血の流入は葛西嫡流家を活性化させたが、新たな火種にもなった。