2024年12月16日月曜日

登米・寺池城と保呂羽館

  奥州葛西氏の最後の居城となった寺池城と保呂羽館の跡地を訪ねた。寺池城跡は旧登米町中心部の丘陵地にあり、現在は城址公園や裁判所,民家もある。中世山城としては小ぶりで、その南側の草飼山(くさげやま)山中にある保呂羽館が本城だとみられている。寺池城は伊達氏の時代になると重臣・登米伊達氏の館となり幕末まで続いたため、街並には城下町の佇まいが今も残っている。

寺池館の標柱がある城址公園入口

2024年7月19日金曜日

瀬上主膳と戊辰戦争

  石巻市鹿又地区に梅木屋敷という地域がある。幕末に鹿又地区を治めていた仙台藩一家格の瀬上(せのうえ)氏とその家臣たちの屋敷があった地域だ。昭和の大火事などがあって、古い町並みは失われてしまったが住宅街は今も続いている。瀬上氏累代の廟所がある統禅寺、戊辰戦争で亡くなった家臣たちの慰霊碑がある日枝神社のほか、瀬上氏家臣だった岩淵家の敷地には戊辰戦争150年迎えた2019年5月に建立された「全殉難者慰霊の碑」があり、その歴史を刻んでいる。

             瀬上氏の墓所がある石巻市鹿又の統禅寺

2023年11月21日火曜日

幻の中津山藩

 仙台藩の支藩として一関藩が知られているが、中津山藩はほどんど知られていない。元禄8年(1695年)の立藩から同11年の本藩返領まで3年と極めて短い期間しか存在せず、藩主伊達村和(むらより)は一度も中津山に入部していなかった。家臣の移住も不明で藩庁の存在さえ明らかになっていないため認知度はかなり低い。村和の前の領地が水沢だったため水沢藩と誤って呼ばれることもある。改易の原因になった旗本とのくだらないいざこざ(土器町事件と呼ばれる)がなかったら、中津山の街並みがかなり違ったものになっていたに違いない。

中津山の氏神様、白鳥神社