奈良時代初期の地方役所「牡鹿郡家(おしがぐうけ)」あるいは「続日本紀」にある蝦夷と対峙する城柵「牡鹿柵(おしかのさく)」と考えられる赤井官衙(かんが)遺跡と矢本横穴からなる「赤井官衙遺跡群」が、2021年3月26日に国の史跡指定を受けた。同年6月に記念講演会を開き、利活用に意欲を見せた東松島市の今後の施策に期待したい。陸奥統治の拠点になった多賀城。ほぼ同時期に造営された牡鹿柵は蝦夷との最前線基地になった。牡鹿柵を治めた丸子氏(のちの牡鹿連、道嶋氏)は、牡鹿郡にとどまらず伊治城の造成や蝦夷征討にも活躍する豪族となった。特に道嶋宿禰嶋足は中央政府に出仕し、貴族にまで上り詰めた特別な存在だ。地方出身ならが傑出した武人・道嶋宿禰嶋足ってどんな人だったのだろうか?
赤井遺跡発掘地には説明版が設置されている