伊達家14代当主・伊達稙宗の次男小僧丸は、奥州探題家の大崎氏10代当主・大崎高兼の娘と婚姻し大崎家に入った。大崎義宣と名乗り次期当主として歩み出すが、大崎家を二分する権力闘争に敗れて逃走。葛西領内に逃げ込んだが捕らえられ、討ち取られた。石巻市大森の辻堂橋付近がその捕縛の地とされ、観音堂の脇に大崎義宣の墓が建っている。戦国時代に生まれたが故に悲運の最期となった大崎義宣。お家の事情に翻弄され続けた生涯となった。