石巻市給分浜後山にある十一面観音立像は、鎌倉時代初期の貴重な木彫として知られている。旧桃生町太田の日高見神社にあったものが、中世になって給分浜に移されたとする記録はあるが、安倍一族が源頼義、義家父子に攻められたとき、もしくは奥州藤原氏が源頼朝に攻められたときに衣川に流したものが流れ着いたという伝説が地元に残っている。葛西家臣の遠藤氏が観音像を浜で拾い上げ観音堂を建てたという伝承もあるが、その真相はよく分かっていない。謎の多い観音様だ。
給分浜後山にある十一面観音立像の収蔵庫。
普段は公開していない